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橋本エンジニアリング株式会社様

ワクワク創造企業「超軽量車いす」「オリパラ教育」も手掛ける

企業情報

企業名橋本エンジニアリング株式会社
業務内容各種治工具から精密順送金型まで
所在地静岡県浜松市浜北区平口5559
電話番号053-587-6508
FAX番号053-587-2289
ホームページhttps://www.hashimoto-eg.com/
お話代表取締役 橋本 裕司 様

会社の概況を教えてください

1968年4月に「橋本部品製作所」として浜松市浅田町559番地にて自動車部品加工、オートバイ及び楽器部品組立加工業務を開始しました。
1969年9月に「有限会社橋本部品製作所」と改称(資本金120万円)し、プレス製品及び金型製造を開始しました。
そして、1974年11月に現在の浜北区平口5559番地に新築移転しました。
1996年1月に資本金1,000万円に増資し、さらに2005年1月に資本金1,600万円に増資しました。
2006年9月に現在の社名「橋本エンジニアリング株式会社」へと組織及び社名変更しました。
2007年6月には「ISO9001:2000認証取得及びISO14001を宣言しました。

会社の理念・基本方針を教えてください

経営理念

「日々挑戦! 昨日よりも今日、今日よりも明日と、個々の目標に挑戦し、自分を高め、幸せを掴む!」私たち橋本エンジニアリングは、お客様の満足を得られるよう、「賢い:高い技術」・「巧い:良い品質」・「速い:迅速な作業」という3つの目標を常に心がけています。様々なお客様との「ものづくり」を通して培った豊富な経験と信頼の技術が、今日、私たちの大切な財産となっています。
当たり前のことに情熱を傾け、品質の高い製品を迅速に作り続けて行くことが、私たちのスタイル「HASHIMOTO STYLE」です。

品質方針

  1. 経営理念の「日々挑戦」を心がけ、顧客満足、従業員満足を推進する。
  2. あらゆる要求事項への適合及び品質マネジメントシステムの有効性の継続的な改善を推進する。
  3. 顧客及び従業員満足向上のために、以下の実行をする。
    • 高品質、低価格、短納期の実現
    • 生産活動の安全管理推進
    • 職場活性化と多能社員化の推進
  4. 品質方針は、組織全体に伝達し、確実に理解させる。
  5. この方針は、適切性の持続のために、原則として毎年9月にレビューする。

会社の特色を教えてください

当社は、オートバイや自動車、船外機部品のプレス加工、金型・治具製作、検査評価を手掛けています。プレス機械、マシニング、検査機器等50台の機械設備を有し、設計から加工、仕上げ(研磨)、検査、納品までを一貫して社内で行っており、短納期要請にも柔軟に対応しています。また、当地区のプレス・金型業界では珍しくガス量測定システム、ガス分析機を有し、アルミ鋳造品のガス分析やKモールド法などの内部測定、赤や蛍光の塗料を使って目視できないひびを探す外部検査、押しつぶしたり引っ張ったりする強度・硬度試験、3次元測定など多様な検査手法を駆使し、評価結果を顧客企業に提供しています。

私は、15年ほど前の28歳のときに会長(父)が経営していたこの会社に入りました。それまでは、トラックの運転手、住宅塗装会社、製造メーカーなどで働いていました。いちばん勉強になったのは、「メバガス」で7年間営業をしたことですね。今では世界的企業ですが、当時はまだ3名ほどの会社でした。当社会長はもちろんですが、メガバスの伊東社長から学んだ企画力、開発力などは今の会社経営にとても役に立っています。
私は商業高校出身なので、ものづくりは未知の世界でした。最初の5年間は、本来10年かかることを3年で覚えようと、現場でとにかく一生懸命働きました。正月休みもなかったですね。私の入社当時、赤字会社であることを承知で「必ず黒字会社に変えてみせる!」と使命感に燃えていました。他社が断るような難しく、短納期の仕事は特に気合が入りましたね(笑)。私が専務になった頃からでしょうか。口コミのおかげで当社のことが徐々に知られていったように思います。
今だから言えることですが、会長は営業力はすごいですが、人を動かすのが苦手でした。当時の社内は生ぬるい雰囲気で職人気質の社員が好き勝手にやっていたように思います。これではいけないと思い、会社風土を変える努力をしてきました。当時から採用面接は私が直接行うようにしていますが、結果的に今では全ての社員は私が面接して入社した者だけになりました。
私の人生でいちばん辛かったことは、何といってもリーマンショックのときの社員リストラです。私が社員一人ひとりに直接解雇通知をしたのですが、あんなことはもう絶対にしたくないです。その経験から当社は下請けではなく、自らがメーカーになるべく研究開発を進めています。
逆に嬉しかったことはたくさんありすぎて選べませんが、例えば、社員から成果があがったと感謝されたとき、社員を採用できたときなどです。今日、こうして村松さんに当社を訪問していただけたことも、もちろん嬉しいです。
社員を幸せにすることは会社の義務だと思っています。しかし、その前に大前提として顧客満足、堅い経営基盤が必要です。今後当社は、次の3つを中心に経営を進めていこうと思っています。①海外進出、海外との取引拡大 ②異業種の展開 ③新素材の開発 ①に関しては、他社同様にアジア地域を中心に進出を検討しています。②に関しては、ビジネスフェアにも出展しましたが、介護業種への展開を進めています。その他、化粧品メーカー、製薬会社、建築会社などにも展開を考えています。③に関しては、浜松市も要請していますが、チタン、CFRP、マグネシウムなど電気自動車に使われるものの開発を進めたいと思います。
そして、社員にどんどん還元できるような会社になりたいです。

会社のダイナマイトモチベーター 営業部次長 鈴木 敬治 様のご紹介

私は入社13年目になりますが、前職は肉屋の営業で外食産業やホテルを営業で回っていました。業種柄、長時間労働でしたから決まった時間で終われる製造業がいいかなと安易な気持ちで職を探していたところ、偶々求人雑誌にこの会社の営業職募集の求人が載っていたんです。製造業の経験は全くなかったので、まずは現場で実務を覚えた方がよいと思いましたが、橋本社長から現場に入らなくてもいろいろなやり方は学べるし、むしろ固定観念にとらわれない方がよいとアドバイスをもらいました。結局数ケ月だけ現場を経験した後はずっと営業をさせてもらっています。

今でこそ、管理職として仕事をさせてもらっていますが、必死に橋本社長について行こうと決めていたので、最初の頃は橋本社長の考えを理解することが大切だと思い、とにかく何でも吸収しようと努力しました。橋本社長の斬新な経営手腕は本当に凄いと思っています。橋本社長は製造業の常識をことごとく覆してきたからこそ、今の会社があると思います。リーマンショック後の時期に浜松メッセ、ビジネスマッチングフェア、名古屋メッセなどに出展しましたが、当時は展示会に出展している製造業は珍しかったのではないでしょうか。

私がいちばん辛かった経験としては、お客様との打ち合わせミスにより会社に何百万もの損害をだしそうになったことです。

お恥ずかしい話ですが、家では妻から元気がないと心配され、会社でも毎日のように泣いていたんですよ。でも、そのときも橋本社長が「一人の責任じゃないよ。会社の責任だから気にするな」と言って励ましてくれたんです。当たり前ですが、今の若手社員は私の過去の失敗を知りません。最初から今の私があるのではないから、もっと私の過去を知ってほしいと思っています。そして、今度は私が社員の皆さんを励ましていきたいと思っています。
人材採用も私が行っていますので、自分でいろいろなセミナーを探して積極的に学んでいます。私と一緒に働きたいと言って入社してくれる社員もいますので、本当に嬉しく思います。今後の会社を背負っていける社員を育て、この会社の色に染めていくことが大切だと思います。私が中心になって毎週水曜日の早朝勉強会を主催したり、月1回勉強会も運営しています。これからの時代、じっとしていては製造業の業界は益々厳しくなります。電気自動車に切り替わりが進んでいったとしても、お客様とのパイプを強化し情報収集を密にして、生き残っていきたいと思います。これからも橋本社長を支え、会社を全力で盛り立てていけるよう努力します。

若手開発チーム・期待の星 大城 徳彦 様のご紹介

私は入社して3年目になりますが、その前は県外で建築会社の営業、釣り具メーカーで企画、販売などをやっていました。そろそろ根を張って地元で仕事をしたいと思い、職を探していたところ偶々会社のホームページを見つけたんです。社長の「会社を変えたい!」という熱いメッセージに感銘を受けたのを覚えています。また、社長が昔メガバスにいたこともみて、釣り好きの自分と体験談が重なるところがあるのではとも思い応募させていただきました。

小さいころから日本独特の職人魂に憧れていましたが、入社前は怖そうなイメージをもっていました。しかし、この会社は、分からないことがあると丁寧に教えてくれる先輩が多いので、ものづくりの環境としては最高です。
数年前から若手6名で開発チームを立ち上げました。これは、脱下請け化をはかり自社製品を開発するためです。私はリーダーを担当していますが、この会社は下請け仕事だけではもったいないような人材がそろっています。

きっと、いろいろな職種経験者が多いから、様々な角度から改善提案ができるのでしょうね。

辛かった経験として心に刻まれていることは、自分のミスで精密機械を壊してしまったときです。あのときは本当にショックでした。修理金額を見てしまったときは、会社に何といっていいか…。すごく反省しました。
充実感を感じるときは、所定労働時間内で与えられた業務を迅速に終わらすことができたときですね。開発チームの会議は、2週間に1回、金曜日の午前中に行い、皆で進捗状況とアイデアを話し合っていますが、それだけは時間が足りません。17時にきっちり仕事を終わって、開発(考える、試作するなど図面がない仕事)のための時間を多くとりたいんです。開発業務はゴールがない仕事、まさにエンドレスです。大変ですが、山を越えた時に達成感はすごいです。図面どおり製品が完成したときの喜びは何事にも代えがたいものがあります。
これからは、所定労働時間に普通に仕事をしていて、給与をもらって当たり前という時代ではないと思います。リーマンショックのときには私も危機感を感じました。もし、いつかまた不況期がきたときに自分の力で生きていけるためにも頑張っていきたいです。
目標は、開発部門をつくって部長になることです。そして、〇〇といったら「橋本さん」というように、業者さんだけでなく一般消費者にも認識してもらえるようになりたいです。

“笑顔の現場主義社労士”村松のコメント

橋本エンジニアリングさん(以下、橋本さん)とは金融機関の紹介で知り合いましたが、当時から「会社を組織化したい!」「会社を変えたい!」という熱い思いが伝わってきたのを覚えています。最初は橋本現会長と当時の岡田部長とお話をさせていただくことが多かったですが、皆さんとても温和な方で仕事がしやすかったです。
最近ではいろいろな勉強会や交流会などで橋本社長とお会いすることが多くなり、「アンテナが高く意識が高い方だなあ」と思っていました。浜松メッセなどの展示会にも出展され、マスコミ各方面から注目されている介護用品(初の自社製品)もそんな橋本社長の想像力の賜物だと思います。橋本社長にお話を聞くと、メガバスに入社したのは伊東社長に頼み込んでアルバイトで入社させてもらったとのことです。そして、約1年間くらいは建設作業員の仕事も並行してやって生計を立てていたそうです。橋本さんに入社当時は畑違いで製造業のことは全く分からないため、自ら地元工業高校の定時制に入って猛勉強した経験もあるとのこと。今の橋本さんの成長には、橋本社長のこのような過去の経験がたくさん活かされていると実感しました。私自身も丁稚奉公で社労士事務所で修行をしたり、スーパーカブで飛び込み営業1万件をした経験があるので、橋本社長の体験談には共感する部分がたくさんありました。
私の「現場リポート」という取り組みは、社員の生の声が聞けて私もとても勉強になるのですが、今回の大城さんのお話もよかったです。「普通に仕事をしていて、給与をもらうのが当たり前の時代ではない」の言葉には、しびれました(笑)。

大城さんが何と答えるか興味をもち、私が「大城さんは開発チームリーダーにも任命され、社長から認められているのではないですか?」「今回の現場リポートで橋本さんを訪問したのは、私があえて橋本さんを選んだのです。」というと、大城さんは「いや、まだまだですよ。」「選んでいただいてありがたいです。」とおっしゃいました。中小企業の製造業でも、教育しだいでこんなに立派に社員が成長するんですね。
鈴木次長は「思い切って転職して今ではよかったと思っています。」とおっしゃっていましたし、大城さんも橋本さん入社後、1年くらい経った頃に結婚されたそうです。「社員を幸せにすることは会社の義務だ!」と言い切る橋本社長の経営手腕に今後も注目していきたいと思います。