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株式会社山一木研様

モットーは「デリケートなものを壊さず確実に届ける」

企業情報

企業名株式会社山一木研
業務内容輸送用梱包材の製造・梱包
木工製品の開発・製造業
所在地静岡県浜松市中区高丘西1-5-3
電話番号053-436-1871
FAX番号053-436-1872
ホームページhttps://www.yamaichimokken.co.jp/
お話代表取締役 林 俊哉 様

会社の概況を教えてください

1957年2月に紺屋町で祖父の音部一が、個人商店「桐屋」を創業しました。
1969年12月に現在の高丘西に本社を置いて、「有限会社山一木研工業所」を設立しました。
1975年4月に音部荘一が社長に就任、1980年12月には父の林昭男が社長に就任しました。
そして、2001年6月には株式会社に改組し、社名を「株式会社山一木研」に変更しました。
おかげさまで、2004年12月には高丘本社の新工場を竣工できました。
そして、2007年1月には機材・塗装ブース等の設備投資により、本格的な木工製品事業を開始しました。
2008年12月に私が社長に就任しました。

会社の理念・基本方針を教えてください

企業理念

信義誠実の原則を重んじ、しなやかさ(柔らかさ)と自由な発想をもって真に必要とされるモノを作る事により、社会に貢献する。

企業スローガン

もっと優しく柔らかくしなやかな発想で、必要のある品質を追及する。『FOR NECESSITY』

会社の特色を教えてください

当社は、「梱包材製造及び梱包業務請」と「木工製品の開発・製造」を事業の柱としています。具体的にいうと、梱包材は「木箱、木枠、パレット、ダンボール箱など」がありますが、その他にも「精密機械、テスト用試作品、レース用車のフロントガラス、ガラスケース付き人形など」希少性の高いものを壊さずに確実に届けるための梱包箱の設計と製造も手掛けています。丁寧で細心の心遣いで業務に取り組む徹底した企業姿勢が評価され、同じ梱包業者からも梱包の依頼があります。

デリケートなものを壊さず確実に届けることをモットーに、お客様の信頼を勝ち得ています。

木工製品は「ピアノの椅子、補助ペダル」が主な製品になります。無段階昇降技術では特許を取った実績があり、「補助ペダルのM-60」という商品は、おかげさまでプロの音楽家からも高い評価いただいています。この商品は「子供がピアノを上達できるように、つくりやすいものをつくるのではなく、使いやすいものをつくる!」という社員たち全員の志から生まれたものです。
私はこの会社に入ってもうすぐ20年近くになりますが、当時は確か35歳くらいだったと思います。その前は、東京のアパレルメーカーで営業をやっていました。ファッションに興味があり、気に入った洋服があればお金に糸目をつけずに買っていましたし、夏場なんて白いスーツにピンクのネクタイで通勤していましたよ。でも、そういった感覚が当時の仕事にとても活きていましたし、また何とも思いませんでした(笑)。
そして、若いながらもファッションビジネスのことは大よそ分かってきたので、もっとやりがいがあり、面白い仕事を模索して退社しました。結果的にはその後、祖母に継いでほしいと言われこの会社に入ったわけですが、実は躊躇していた野望がありました。それは、友達が偶々プロダイバーの国際ライセンスを持っていたので、カリブ海などで海底に眠っている遺品を集めて売る仕事をやろうかと考えていた時期もありました(笑)。まさに映画のような世界です。
当時の社長(父)は、これから木材を扱う仕事は減っていくから、自分の代で会社を閉めようと思っていたそうです。従業員の平均年齢も高くて、70歳くらいでした。最初は当然現場から仕事を覚えていきました。後継者が入ったからと、大口取引先のヤマハさんから受注が増えたのは有難かったですが、自分の仕事が終わると帰ってしまう社員が多く、身内の人間と工場長だけで毎晩11時過ぎまで仕事をしていた記憶があります。受注が増えれば納品量も当然増えますが、当時のドライバーが大変だといって辞めてしまったことには驚きました。仕方がないので、納品も自分がやることになりましたから、お昼はトラックの中でおにぎりを食べる日々がしばらく続きました。今の話は一例に過ぎず、個人個人バラバラでチームワークは悪かったですね。
何とか会社を立て直そうと私も必死でした。何年かした後に、肩書きがあった方がいいと営業部長になりましたが、まずはもっと若い人材を採用するところからはじめました。人の採用の難しさを身をもって知ったのもこの頃でした。
私がこの会社に入っていちばん嬉しかったことは、私大文系の自分が企画設計したものが大手企業のコンペで採用されたときですね。私は元々気が長く粘り強い性格ですが、外資系の大手ポンプメーカーとの契約は2年越しで取りましたよ。外資系の会社がリーマンショックの苦しいときを助けてくれたんです。本当に感謝しています。おかげさまで、最近ではその他にも外資系の会社と取り引きが増えつつありますが、外資系は2~3年に一回コンペが当たり前。「VEをしながらVAを提案する」を肝に銘じ、常に前向きで鋭い提案力を磨いています。
逆に苦労したことは、思い浮かびません。銀行がお金を貸してくれるし、取引先から注文FAXが毎日入りましたから。食事をとる暇がないくらい忙しく、毎晩遅くまで仕事をすることなんて本当の苦労ではないと思います。村松さんもそう思いませんか(笑)?
私には目標があります。それは、この会社を「社員が子供に『ここがお父さんの働いている会社だよ』と胸を張っていえる会社にすること」と「子供が会社見学に行きたい会社にすること」です。売上げや規模も大事ですが、それ以上に社員の充実感、満足度の方がもっと大切です。仕事人生をリタイアした後に、皆で集まって「山一で働くことができて楽しかったよな。面白かったよな。」と言ってもらえる会社にしたいです。ひと言でいえば「山一を格好いい会社にしたいし、周りからも面白い会社だといわれるようになりたい」です。そのためにも、会社にとってプラスになることならば私が耳が痛いこともどんどん言ってほしいと常々社員に話しています。

ところで、ぜひ見てほしいものがあります。うちの会社もロゴマーク(シンボルマーク)をつくったんです。最近では外資系の会社とお付き合いすることが多くなり、そろそろ格好いいロゴマークがほしいと思ったんです。立派な外資系企業には、必ず立派なロゴマークがあります。そこで、金融機関にどこかうちの会社に合いそうなデザイン会社を紹介してほしいと頼んだところ「ブルックスタジオ」の藤田さんを紹介してもらいました。藤田さんの話を聞いて、ロゴマークの販売促進への有効性がよく分かったので、お願いしてつくってもらいました。このロゴマークは今後、「名刺、HP、会社案内、看板」などに使い、外へ向けて会社のメッセージをもっと発信していきたいと思います。
7月にビジネスマッチングフェアに出展しますが、販路拡大とか打算的な目的ではなく、社員の日頃の取り組みを皆さんに知ってもらうための発表会の場だと考えています。ですから、企画・準備段階から私は一切関わりません。社員皆で話し合いながらやっていますよ。このような体験がいちばんの社員教育だと思います。たくさんの方にうちの展示ブースにぜひ寄ってもらえたら嬉しいです。

80歳現役! 社長の相談相手 伊藤 誠 様のご紹介

私は64歳のときにこの会社に入社して、今年で18年目の80歳現役社員です(笑)。若い頃は、タンスなど嫁入り道具をつくる家具製造業、テレビキャビネットを主につくる会社(その会社は社長の放漫経営から倒産しましたが…)などに勤めていました。その後は、ヤマハ楽器で梱包出荷の仕事で責任者を経て、ヤマハ発動機でも60歳定年まで責任者を担当してきました。そして60歳定年後は、システムキッチン製造施工会社に入社しましたが、高齢者を使っていると会社が助成金をもらえるようですが、その助成金が終わったら突然賃金を下げられたのです。採用当初と話が違うし、これ以上信用できないので退職しました。そんなとき、タンス職人時代の昔の親方の紹介でこの会社に入社することができたのです。

仕事内容は試作品をつくったり、人の面倒です。私は今の社長が入る前からいますので、会社のことはある程度わかります。社員からよくいろんなことで相談があり、愚痴を聞いてあげることも私の仕事のうちです(笑)。ときには、社長にもアドバイスをすることがありますから、社長の相談相手の役割も少しはあるかもしれません。
この会社も中小企業ですから、昔の大企業ほど労働条件をよくすることは難しいと思います。だからこそ、「人をどうやって育てていくか」がとても大切なのです。

私も今までいくつかの会社で働いてきましたが、会社組織は人間関係がいちばん大変ですね。昔の方が、どこの会社も愛社精神が強く周りのことまで考えれる社員は多かったと思います。
日本の現役世代へのメッセージとしては「世の中の感謝の気持ち、思いやりがいちばん大事。それができれば、仕事も私生活もすべてが上手くいく」ということです。挨拶や道徳的なところがとても大事です。5Sのような基本も大事ですね。
確かに今の方が機械設備は進化していますが、個人のスキルが低下していたり、年配者でなければ修理できないことが課題です。機械がどんなに進化してもそれを使うのは「ひと」です。やっぱり会社は「ひと」で決まるということです。
長く働き続ける秘訣は「やる気」だけです。年齢が問題ではありません。愚痴っぽくなるのが年寄りです。あれは無理だとすぐにあきらめないで、前向きに取り組むべきです。前向きさは仕事に限らず生きる上で大前提だと思います。
私はもうそろそろ引退かなと思っていますが、社長からは車の運転が出来る限り来てほしいと言われています(笑)。せっかく何かの縁でお世話になっている会社です。よりいい会社になってほしいと思います。

真面目すぎる工場長 太田 政信 様のご紹介

私は入社12年目で、2年ほど前から工場長をさせてもらっています。先ほどの伊藤さんは前工場長です。伊藤さんには知恵をもらうことがよくあり、「全」工場長といってもいいと思います(笑)。
この会社に入る前は、日産自動車のディーラー、飲食業の店長、印刷会社で生産管理、スズキ関連の部品塗装会社で品質管理などたくさんの職歴を経験させていただきました。

入社後8年くらいは外資系の大手ポンプメーカーへ派遣でいっていて、主に梱包作業をやっていました。梱包作業自体がはじめての体験でしたし、相手先に神経を使い緊張して仕事をしていたので慣れるまでなかなか大変でした。まだ入社間もない頃、石があることに気づかずうっかり台車を倒して商品を壊してしまったことがいちばん辛かったですね。実績を上げないと改善提案をしても、先方に取り入れてもらうのはなかなか難しかったですが、成果がでたときは大きな充実感がありました。

2年前に工場長として本社勤務になってからは、工場長として仕事量、責任共に大幅に増えたので大変です。まだ、周りをみる時間も余裕もなく伊藤さんには助けてもらっています。

木工分野に関しては私以上に経験がある社員が何人かいますが、この会社の各担当リーダーに仕事を任せてくれるところ、自由な社風のところに社員はやりがいを感じています。 会社の強みは「短納期のニーズまたは特殊製品のニーズに対応できること」です。そして更なる目標は「お客様からの新しい仕事に対応できる技術力、商品力を向上させていくこと」です。そのためには、個人個人の技術レベルの向上をはかることや、一つひとつの仕事をコスト的かつスピード的に改善していく必要があります。
工場長として会社側または社員側、双方からより信頼されるように的確な改善提案、適切な労務管理を心がけていきたいと思います。

“笑顔の現場主義社労士”村松のコメント

山一木研さんとは金融機関の紹介で数年前からお付き合いさせていただいていますが、当時から私が持っていた印象は林社長が「格好いい!」というものです。経営に対する考え方も真面目だし、見た目も声もとてもダンディなのです!
今回の現場リポートは、山一木研の林社長とロゴマークをつくられた「ブルックスタジオ」の藤田氏の対談形式からはじめるという、はじめての取り組みでした。元々、山一木研さんは私の中で現場リポートの候補会社として心に留めていたのですが、今回早い段階で実現したのはきっかけがありました。私が信金時代からお付き合いのあるブルックスタジオさんから、山一木研さんのブランディング強化をはかるためロゴマークを作成したというお話を伺い、この現場リポートの「ビジネスマッチング」という趣旨にも合うので訪問させていただくことになったのです。

最初は社長同士の難しいお話からはじまりました。主に「核兵器問題の是非」「震災を機にした安全対策はもっとグローバルに地球規模で行動を起こすべき」「1985年当時の生活レベルに戻れば、電力消費量問題は解決する」「日本は省エネ世界一になるべき、そうしたらいい意味でブランド化がはかれる」など。私は話に入れずじっと聞いていました(笑)。

アートデレクターとして活躍されている藤田氏は、企業や大学・病院などのロゴマークやシンボルマークを多く手がけています。ロゴマーク画像を載せましたが、藤田社長曰く「山一木研さんの潜在的な“らしさ”や本質的な“らしさ”を目指すべき形に視覚化しました。シンボルマークは社名である「山」と「一」をモチーフとして、縦のラインを発想力、横のラインを技術力に見立て、その二つが一体化することで、他にない満足を生み出す企業力を表し、常に自由に柔軟に新たなニーズにチャレンジする山一木研さんの決意を力強く示しています」とのことです。

さらに、藤田氏はブランドビルディングについて「企業の価値観・目標・能力を抱合する視覚的表出の核となるのが、シンボルマーク・ロゴタイプであり、これを何らかのデザインアイテムにアプリケートして、社会に発信することでブランドビルディングにつなげていきます。」さらに「デザイン会社は制作して終わりではなく、その先、機能してこそはじめて目的を達成できます」と話されました。
大学や専門学校でコミュニケーションとデザインの講師もされている藤田氏の話はとても論理的で、絶えず新鮮な驚きを与えてくれます。

林社長の過去の話、将来のビジョンなどをじっくり聞くことができましたが、山一さんの提案力は実証する出来事として「防音室を入れる箱をヤマハのマネージャーに提案して、あまりの品質の良さにマネージャーを驚愕させた出来事」を伺いました。それがきっかけで今まで以上に提案力が認められ、他の部門の方とも知り合う機会がどんどん増えていったそうです。そして今では、何社かの外資系企業からも引き合いがあることも山一さんの提案力の高さを実証していると思います。
林社長に80歳の伊藤さんのことを聞くと、「現役だけど名誉社員だよ!」とのことです。私も80歳の社員さんに意見を聞くのははじめてでしたが、とてもお元気でした。まだまだ働けそうです(笑)。会社との信頼関係がないとこの年齢まで働けないと思います。今後、法律上で定年65歳、70歳ということが現実になる可能性がありますので、山一木研さんのような高年齢者も無理なく働ける職場環境づくりは日本の課題になることは間違いないでしょう。
林社長のお話を聞いていて全てにおいて一貫していたことは「格好いい会社にしたい!」です。過去のアパレル時代の仕事も今の仕事も「ものをつくる面白さ、楽しさは共通する」とおっしゃっていました。林社長の一貫した「格好いい」への思いが、山一木研さんの組織風土、経営戦略に大きく影響していると思います。山一木研さんの今後の成長力に期待したいと思います。
最後に、林社長らしい写真を撮ってきましたので紹介します。興味のある方はぜひ一度、山一木研さんの事務所を訪問してみてください! 格好いいですよ。